さて、まず”稚内マラソン”の歴史に触れておきたい。
1983年(昭和58年)、稚内沖で起こった大韓航空機撃墜事件。
大韓航空の旅客機が当時のソ連上空を領海侵犯した(今でも当時の機長の行動は謎)
ことでソ連戦闘機に撃墜され、乗員乗客269名全員死亡、という痛ましい事件であった。
当時、稚内の小学生であった私には、事件後に稚内の上空をヘリコプターか飛行機が、
爆音を響かせてとにかく毎日毎日、一か月くらいは飛んでいた…という記憶がある。
関係者及び遺族を乗せたヘリや飛行機は、ソ連に撃ち落されない領海ギリギリで
国境のまち稚内上空を飛んでいたのだろう…。
https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/inorinoto.html
事件の2年後、宗谷岬に慰霊碑”祈りの塔”が建てられている
この稚内沖で起きた痛ましい事件忘れないために、国際平和を祈念して
稚内平和マラソンが誕生した、というのが成り立ちであり、
これまでは2km、5km、8kmのコースのみで地元(の小学生)参加が大半であり、
私も大学生の時に一度、本州からの友人2名を誘って参加した位だったのだが、
昨今のマラソンブームを受け昨年、フルマラソンも開催されることになった。
そこで稚内市から宗谷医師会に「救護面でぜひご協力を」と打診があり
会長から”スポーツイベントなら彼に”ということで、私に話が回ってきたのである。
いつかこういう日が来ると思って全国各地のスポーツイベントに参加していた私だが、
すんなり引き受けたわけではなく、稚内市に対し、救護を引き受けるにあたって
3つの条件を提示した。
①原則外注はしません
フルマラソンというのは、稚内市に限らずどの都市においても一大イベントである。
稚内レベルの地方都市だと、民間救急やバイト医師など、救護メンバーを
外注する(せざるを得ない)ケースが大半であるなか、しかし私は外注はせず
”オール稚内”で救護班メンバーを構成し、入念にミーティングを重ね
救護面でも大会を成功へと導くことで、稚内の医療者の結束を高める機会に
繋げたい、という思いがあり、この条件を提示した。
すなわち私自身バイト感覚で臨むのではなく、ゼロから自分が理想とする
チーム稚内を作り上げるため、名実ともに総責任者として奔走する覚悟だった。
実際メンバー集めのために、市内各地の医療機関や消防署に自ら奔走し
上から目線ではなく、とにかく頼み込むことで(^_^;)
何とか目標通りの看護師、消防士、理学療法士1名ずつ3名のチームを
6つ作ることができ、さらに複数のドクターも協力を名乗り出てくれ、大いに助けられた。
皆さん本当に!ご協力ありがとうございます(^o^)/
ゴール地点の救護本部で皆で記念写真
しかし前回のコラムでも言及したように、
マラソンで致命的なのは循環器系の急性疾患である。
しかし現在、残念なことに稚内に常勤の循環器内科医は不在のため
救護班として万全を期すならば、外注してでも招へいする必要がある。
稚内まではるばる飛行機で来て棺桶で帰るランナーを出してはならない、
そんな話を第1回でランナーに向けスピーチしたら皆笑ってくれたが(^_^;)
第1回大会の時点から私は、万が一の事態に備えるべく名寄市立病院と交渉し、
はるばる150km離れた名寄からドクターカーで循環器内科医、ICU看護師、
運転手2名が、有事の際に備え大会当日待機して頂けることとなった。
名寄ドクターカー!快くお引き受け下さり、本当に有難うございます(^o^)/
②ボランティアではありません
救護班のメンバーは全員、医療や救急に関わる専門職でチームを構成するわけであり、
プロにその職能を見込んでお願いする以上、休日にボランティアでタダ働きさせる
というのは、少なくとも私の常識では考えられない。
プロ意識を持って大会救護に臨んでもらうため、責任の対価と大会の安全の担保
として全員に報酬を約束する、という条件は”絶対に譲れない”として市に提示した。
当初は要望通りスムーズに事が運んだのもつかの間、公務員であるメンバーの
参加について、市の一大イベントにも関わらず副業扱いと見なされ
交渉が難航してしまい、結局、ミーティング参加も含め時間外勤務扱いとする
という落としどころで落ち着いたのだが、こういう交渉事で本番前に疲弊するとは
思ってもいなかったため、改めて大会運営の難しさを思い知った。
ところが来年の東京オリンピックの役員の常識は、どうも私と違うようで…
https://www.zeiri4.com/c_1076/n_633/
東京オリンピックの救護で責任者は報酬を受取り、メンバーにはタダ働きさせると!
私が責任者なら恥ずかしくて報酬は受け取れない、というか大会ボイコットさせて頂く
救護メンバーが相応の報酬を受け取れるよう、全力で動くのが責任者の仕事ではないか
③できるかできないか、ではありません
これはむしろ、救護チームのメンバーに向けたメッセージである。
フルマラソンでの大会救護は当然、私も含め初のメンバーばかりであるため
第1回のミーティングで、メンバーの自己紹介の段階では、当然のように
本番に向けて、不安な声がメンバーから聞こえてきた。
「本当にできるんだろうか」
「自分は何ができるんだろうか」
「何かあったら誰が責任取るんだろうか」
といった不安の声の数々。
しかしそれも私にとっては全部、想定内でして(^_^;)
第1回のミーティングでメンバー全員に、声を大にして伝えた。
「”できるかできないか”のレベルの話ではありません。
皆ここにいる以上、”やるかやらないか”のレベルで自分が今
必要とされていることを、自覚して動いて欲しいのです」
さらに言えば、救護責任者である私は、”やるかやらないか”のレベルからさらに
どうやり抜くか
を要求される立場なのだ。
もちろん私自身、大会救護の責任者は初めての経験である。
本番前に道内各地の大会を視察・実走し、大いに参考にはしても、
決して真似をしたり、誰かに頼ったりするつもりもなかった。
稚内のこの大会規模、稚内のこのコース、稚内のこの医療事情を熟知し
やり抜く力のある人間は、自分以外にあり得ないという使命感があったからである。
(後編に続きます)
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