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院長コラム
もういっぺん、日本のてっぺんに
住んでみれ

院長コラム2019年(第107回~116回)
第107回 妊婦加算は妊婦いじめか(前編)

当院のような整形外科クリニックには、たまに妊婦さんや

赤ちゃんを連れた母親が来院する。

産前産後の体重変化による腰痛のほか、ホルモンバランスの変化により

神経炎や腱鞘炎を発症するケースが多いのだが



頻度としてはこれが第1位。実は私もトライアスロン翌日になったことがある
手首が激痛で注射も打てない!妊婦さんの気持ちがよくわかりました(^_^;)



第2位はこちら。痺れを通り越して手のひらの痛みで眠れない、
という人には積極的にブロック注射をしている



赤ちゃんを抱っこしている産後などには当然、手首の安静固定は難しいため

こちらからブロック注射を勧めるのだが、注射による母体・乳児への影響は

誰もが心配だと思うので、毎回私が口頭で説明して安全性を説明する。


もちろん”絶対安全な薬”などは存在しないし、何事においても

”絶対安全である”ことを証明することは不可能であるのだが、

”危険性が高い薬”は確実に存在する。

それ以外の大多数、約99%の薬は”メリットがデメリットを上回ればOK”と

いうものばかりであり、”極めて安全である”旨を説明するのだが…

私の説明だけではいささか不安げなママもいるようで(^_^;)

安心して治療を受けてもらえるよう、以下の新聞記事も見せて説明している。





ちなみに妊婦さんのレントゲン撮影も数枚程度なら”極めて安全”なのだが、

お互いの精神衛生上、なるべく撮らないで済ませている。

というように、妊婦や授乳婦には多少気を使って治療に臨むのだが、

最近の新聞記事では、妙なことになっている。





(以下新聞記事の要約)

この春から、妊娠中の女性が医療機関にかかった場合”妊婦加算”が

請求されることとなった。金額は自己負担で初診230円、再診110円である。

国は「母体・胎児に配慮が必要」と理解を求めるが、コンタクトレンズの処方や

皮膚科での処方など、産婦人科と関係のない診療科でさえ算定されることに

インターネットを中心に「少子化対策に逆行している」「妊婦いじめだ」と

相次いで批判の声が上がっている…


さて、皆さんはどう思うだろうか…?


とりあえず新聞記事の「気を使うのは医師として当然のこと」とおっしゃる

上から目線の妊婦さん
からは是が非でも徴収しておきたいところだが(^_^;)

実際のところ当院では、これまで妊婦加算はいちども算定していない



なぜか?

お恥ずかしいのだが、毎回猫の目のように変わる診療報酬改訂に正直食傷気味であり、

ここ数年は整形外科と関連する項目だけざっとチェックするようになっていたので、

ただ単に記事を読むまで妊婦加算の存在を知らなかったのです(^_^;)

経営者が知らなければ算定しようもない、単純な算定漏れである。



しかし知ってしまった今、当院において今後妊婦加算を取るか?取らないか?

医師としての判断だけでなく、経営者としての判断が問われる立場なのだが…

(後編に続く)





第108回 妊婦加算は妊婦いじめか(後編)

(前回からの続き)

先ごろ紛糾した妊婦加算とは違い、広く受け入れられてる(知られていない?)加算として、

6歳未満への乳幼児加算がある。

例えば…


単純性股関節炎の乳幼児。もう峠は越しておりレントゲン撮影せず、診察のみで経過観察



初診料は通常、280点である。

窓口負担3割だと2800円の3割で約1000円になるのだが、

6歳未満の乳幼児に関しては初診料に77点加算→乳幼児初診料357点となる。


さらに、この乳幼児加算は初診料だけにとどまらない。

手技料などにも加算されるのだ。


例えば…

肘の骨折でシーネ固定(副子固定)した場合…、やはり乳幼児だと


ギプスを施行しても、通常の点数1200点に660点プラスされ、約1.5倍の点数
レントゲンなどの”画像診断”においても、少数だがプラスされる


その他、小児肘内障(肘関節での軽い脱臼)の整復術では、



・6歳以上 800点→3割負担で2400円 

・3歳以上6歳未満は1.5倍(1200点)→3割負担で4000円 

・3歳未満は2倍(1600点)→3割負担で4800円




北海道では稚内市を含め、割と多くの市町村が乳幼児や小児の医療費助成を行なっており、

自己負担額無料となるケースが多いため、案外知られていないのかもしれない。

北海道の医療費助成実施市町村の状況(平成28年)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hf/kms/js/h28nyuuyoujiiryoukyufu.pdf



診察や治療において”乳幼児は手間がかかる”ということは明らかであり、

当然、乳幼児の診察治療に医師も特別気を使っていることは理解されると思うので、

現時点ではまだ幸い、乳幼児いじめだと騒ぎ立てられてはいないが、

令和の時代にはどうなることやら(^_^;)



以上、医師は乳幼児には配慮し、その手間に見合った加算が設けられているのだが、

では医師は妊婦に配慮していないのか?手間もかけていないのか?

当然、そんなことはない!それなのに


このたびの政府の対応はいつになく、速かった(^_^;)


今回の一番の問題点は、妊婦であることに関係ない診療に対しても

一律に妊婦加算がつけられたことにある。

当初、加算できることすら知らずに診ていた私ではあるのだが(^_^;)

妊婦加算そのものは妥当であるというのが、私の確固たる意見である。



政府にはこのたびの批判を受け凍結→廃止する方向ではなく、

診療行為や内容によって加算を設ける、という妥当なかたちでの復活を望みたい。

この少子化の時代、それこそが妊婦が敬遠されたらい回しにされることなく、

どの科にも安心して受診できる医療につながるのだと、私は思う。



産婦人科医からのメッセージ、同じ医師として共感できるのでぜひ読んでほしい
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/tuusin/201812/558916.html
「妊婦が産婦人科以外の診療科を受診した際、検査も処方もしてもらえず、
『産婦人科に行ってください』と門前払いされたという話はしょっちゅう聞く」







第109回 献血拒否

稚内にずっと住んでいるとなかなか機会はないのだが、

札幌で高校生の頃に初めて献血して以来、これまでちょくちょく献血してきた。




私の献血回数は15回になる。半分は高校生の頃で、それからは数年に1回
研修医の頃、今は無き旭川西武血液センターに1回だけバイトに行ったこともある



当時から医師を志していたので”献血することで少しでも医療に近づきたい”

という思いもあったのだが、それ以上にいつも腹を空かせていたので(高校生なので)

ジュースやお菓子が食べ飲み放題血液センターで、可能な限り

図々しいと思われないギリギリのラインで飲み食いすることが主目的であった。


しかしその後医師になり、輸血製剤の末端価格を知ってからは、

血液センターで暴飲暴食したところで到底元は取れないことを知った。

ですから皆さん、血液センターでは遠慮なくどんどん食べて飲んで下さい(^_^;)



先のカードの記録によると、私の献血歴は平成22年で最後になる。

しかし実は平成26年ごろにも旭川で献血しようとしたこともあったのだが、

なぜか血圧を3回測っても上90と低く、献血歴15回の私がはじめて献血拒否にあい

たいそうションボリして帰ってきた。




さて、つい先日、稚内に献血バスがやってきた。

毎年この時期、はるばる旭川から来ているそうだが、

週末、何かと脱北していることが多いためか(^_^;)今まで知らなかった。



当院向かいのホーマックの駐車場で、バスの中で行なう献血
中がどうなっているか知りたい人は…ぜひ献血して下さい!



今までは旭川や札幌でしか献血したことがなかった私は、

せっかくの機会なので9年振りに献血しよう!と決心した。



受付が終わり、バスの中で順番を待っている(意外とたくさんいらっしゃる)と、

私の前には高校生の女の子とその父親

狭いバスの中なので、看護師との問診のやりとりが聞こえてくるのだが、

何でもその高校生の女の子は今回が初めてのようで、だいぶ緊張しているらしい。

それでも看護師は女の子に、緊張を解きほぐすように優しく声をかけており、

そのやりとりを傍らで聞き、ほほえましく思った。

私も高校生の頃は、献血することで少しでも医療に近づき、

世の中の役に立ちたいと思っていたからだ(食い意地も張っていたが)。



しかし献血可能かどうかの最終判断は、バスの中の医師に委ねられる。

だいぶ緊張していたためか、残念ながら医師の最終判断は

「緊張し過ぎで倒れる可能性が高いから、今日はやめておきましょう」

父親も親心で「大丈夫だと思うんですけどねえ」と少しだけ食い下がるが、

やはり医師の最終判断は重い。

結局その女の子は献血することなくションボリして、ひとりバスから出て行った。

献血できなかったことによる女の子の精神的ダメージは小さくないとは思うが、

今回は仕方ないけど、またそのうち数年後に気を取り直しておいでよ!

と、献血歴15回のベテランの私は、心の中で応援メッセージを送るのだった。



そして次、私の番である。

5年前にハネられた血圧測定で少し緊張したが、逆にそれが良かったのか、

何とか上100をクリア。これでもう一安心、遮るものは何もない。さっさと抜いてくれ!

しかしその次の採血チェックの直後、看護師が急に顔を曇らせ、思いがけない一言。


「西岡さん…今日は献血できません」

は?( ゚д゚)ポカーン

「少し正常より血が足りないようで…」

( ゚д゚)ポカーン 

ま、まさか自分が貧血!?

「そうですね、原因は・・・何か運動とかされていますか?」

「ハア、一応趣味で走ったりとか…」


ここで初めて”運動性貧血(スポーツ貧血)”というキーワードを思い出した。

過去にスポーツドクター研修会で、自ら作ったスライドを紹介する


月に1000km以上も走り込みしてたら、そりゃ赤血球も壊れるわ(+o+))

スポーツ貧血について
http://www.hokkaido-seikei-kinen.jp/examples/anemia
当院からもよく患者さんを紹介している、北海道整形外科記念病院のサイトより




「一度に10km以上のランは身体に良くない。健康も不健康もほどほどが良い」

というのが私の持論であり、昨年の第1回稚内フルマラソンでも

逆風のなか身体を痛めつけている大勢のランナー達

救護リーダーを担当したのだが、それでもそんな彼らに刺激を受け

「やはりフルに出場するランナーの心理を、一度は体感してみなくては」と、

これまで敬遠していたフルマラソンを体験すべく、ちびちび練習していたのだが…。


2年前の北海道マラソンはファンランの部(11km)だったが
今年の北海道マラソンは42kmに挑戦!帰りの飛行機に間に合うか心配(^_^;)



結局、下の小冊子と申し訳程度のオレンジジュース1本をもらい、

間違いなく高校生の女の子以上にションボリしてバスから出た。

なんだこの敗北感…


”ご協力いただけなかった” ていうか協力したくても出来なかったんですけど(>_<)
やはり日本語は表現が難しい



その後気になって気になって、後日当院の看護師に採血してもらった

ヘモグロビン値12.7(正常男性13.6~18.3)少しだが立派な貧血であり、
やはり私が医師の立場でも献血は許可できないなコレは(^_^;)



というわけで私は今、他人にあげられるほど血はない状態であり、

2回連続で献血拒否にあったことによる精神的ダメージが大きいので

しばらくはそっとしておいて下さい(T_T)

でも今現在、他人にあげられるほど血気盛んな人達

ぜひ献血に協力して、遠慮なく飲み食いして来て下さい!


献血上限の69歳まで、私にはまだ24年チャンスが残されているので、

ほとぼりが冷めたらまた、献血に挑戦したいと思う。

それと高校生の女の子!今はダメで落ち込んでいるかもしれないけど

まだ君には50年もチャンスがあるんだから、懲りずにまた挑戦して下さい!



私のような献血拒否にあった者は、こんなシャツを着たい心境である
北斗の拳世代にしかわからないが(^_^;)



第110回 写真加工の罠 

毎月1回、木曜午後の水中ウォーキング教室。



参加者は平均年齢70歳前後のため、会場の水夢館までの足がない方も少なくない。

なので毎回、若干名はまず当院に来て頂き、当院のクルマで送迎している。

長年送迎を担当していた事務長(私の父)も、昨今の高齢者事故の余波を受けて(^_^;)

半ば強制的にクルマを手放してもらったため、最近は私も送迎を担当している。


さて参加者を送迎する車中、聞こえてくる世間話のやり取りに興味深いものがあった。


「こないだの札幌の2歳の子の事件、本当に子供がかわいそうね~奥さん」

「本当ね~奥さん」


21歳の母親と24歳の交際相手が2歳の娘を暴行やネグレクトの末衰弱死させた、

まだ記憶に新しい事件である。

「お母さんもまだ若くてお人形さんみたいな顔してるのに痛ましいね~」

「本当ね~奥さん」



容疑者の写真(SNSより)


週刊文春の記事より



ここ10年で写真の加工技術、自動補正のテクノロジーがとんでもなく高くなり

一般人のスマホに実装されるほど無駄にコモディティ化した結果、

こんな写真がまず殺人事件の容疑者のそれとして世に出てしまうことに

むしろ震撼させられる。


しかしこの高度な技術は、時に”罠”となり「顔出しOKもNGもあったもんじゃない」

ことを経験的に良く分かっている(^_^;)我々の世代であれば、

上の容疑者の画像を見た瞬間、脳が即座に不自然だと認識

「現段階ではまだこんな画像しか出回ってないんだな」と判断する。



しかし、待合室のルンバを体重計だと思って乗ってしまうような高齢者にかかっては、

そういった認識→判断のプロセスをすっ飛ばして

「こんなお人形さんみたいなお母さんがねえ~奥さん」

「本当にねえ~奥さん」

で終了(^_^;)


となってしまう事実を、報道する側もゆめゆめ留意し、

※写真は加工されています 

などといちいち付けるべきなのか?といった問題が出てくるのだが、わざわざ私が

「あれはねえ~加工されてるんだから!奥さん!」

とみのもんた張りにドヤ顔でお年寄りの会話に水を差すのも野暮かと思い、

黙って運転していたのと同じ心理が、報道する側にも働いているのだろうか…。



最後に、写真の加工技術の恐ろしさを知らしめるべく、みずから公開処刑をおこなう。

最近家族で撮ったプリクラより。

取り立てて可愛くもない(失礼)我が子も…




一瞬で玉のような赤ちゃんに大変身!恐るべき技術



さらに45歳のおっさんも、最先端の加工技術により大変身!


私はなぜか橋本聖子議員に似てくるようだ(^_^;)
もし今後私が何か事件を起こした場合、この画像が出回ると思われる





第111回 赤ひげ先生

読者の皆さんは前回のコラム”写真加工の罠”で、コモディティ化した

最先端の写真加工技術により、反則級に美顔化されてしまう

恐ろしさを実感したであろう。

今回は逆に、写真の人物を手軽に老化させてしまう技術

ウチの嫁さん如きのスマホ程度にアプリされているという、

テクノロジーの進歩の凄さを紹介したい。

いまは夏休み時期、まだ宿題やってないのか何だかんだと一家険悪なムードのなか、

家族全員の顔を老化アプリで加工したところ、すっかり皆大爆笑で

意外にも一家団らんに貢献してくれたのだが(^_^;)

なかでもちょっと突き抜けていたのが、以下の写真。




前回紹介した玉のような赤ちゃんが、この老化アプリにかかると…




だ誰だお前は!絶対後ろに包丁隠してるだろ




ツインピークスを彷彿とさせる、悪夢のようなほほ笑み





さらに橋本聖子似の美男子も、この老化アプリにかかると




すっかり赤ひげ先生に!どんな悪夢になるかハラハラしたが
意外と渋い出来具合に、ウームまんざらでもない(^_^;)



というわけで一家団らんにも使え、嫌な上司はこっそり老化させ留飲を下げてと(^_^;)

意外と使い勝手の良いアプリかもしれない。





第112回 嫌われる勇気

コラム更新が遅れ、少し古い話題になってしまい申し訳ないのだが、

高校野球夏の甲子園大会、岩手県大会の決勝の舞台で、

大船渡高校の163km右腕、佐々木朗希投手の起用法を巡り、激論が交わされた。

なにしろ、あと一勝で甲子園出場である。

しかし地元の期待を一身に受ける決勝の舞台で、監督はエースの起用を断念した。

その理由とは、登板過多による故障の可能性を懸念し、将来を見据えてのものだったという。

それでも勝てば結果オーライだったのだが、その試合で負けてしまったことで、

彼の高校に(監督が佐々木投手を休ませたことに対する)抗議の電話が

数百件にも及んだという。



そしてやはり、予想通りのリアクションをしてくれたあの人も
https://toyokeizai.net/articles/-/295227
この発言に対し、率直な性格のダルビッシュやサッカーの長友は放っておけず大炎上



今回私が凄いと思ったのは、監督の決断である。

決勝で勝てば甲子園、間違いなく監督の大きな実績になる。

事実そうした監督の野望や地元の悲願のため、頑張りすぎて勤続疲労し、

将来を潰すことになった子供達も過去にいただろう。


しかし今回、監督は自分自身の名声や地元の栄誉を優先することなく、

佐々木投手ひとりの将来を真摯に見据えた結果、休ませることを決断したのだ。

さらにいえば、佐々木投手でなく自分自身に批判の矛先が向くようにした監督の

”おとなの”決断の重さ
には、感じ入るものがある。


責任の重さは、それを抱えたことのある者だけがわかる。

しかし学校に抗議の電話をしたり、「勝ちたくないのか」と煽るような

こどもじみた”おとな”には、残念ながらその重さは伝わらない。

彼らは責任を抱えたこともなく、嫌われる勇気もないからだ。

私も過去、血気盛んだった頃には、こういう”こども”に対しムキになって

相手の土俵に降りてしまっていたこともあったのだが、

今ではスルーするのが得策だと思い、わかるひとにだけわかればいいと思っている。



そしてここ、稚内の整形外科の現場にも時々、肘や肩を痛めてくる野球少年がやってくる。

肘の場合は特に、甘く見ると相当長引いてしまうケースがあるため、

当面は投球禁止とするパターンが多い。

しかしそもそも、子供のうちから痛めるような選手は身体能力が高く

投げさせてもらえる機会が多い子供であるので、その間は下半身の鍛錬や使い方を指導し、

上半身だけでなく全身を使って投げるようアドバイスしていく。

大会直前などは患者本人であるこども以上に、親であるおとなが熱くなってしまい

なかなかわかってくれないケースもあるのだが(^_^;)、根気よく

淡々と話していくしかないと思っている。





こちらはお隣の国での話。ロナルドも怪我の恐れがあったのだが…
「出ないなら損害賠償だ」とファンが訴訟に走る国に、もうスターが来ることはないだろう



第113回 全てのランナーに捧ぐ!稚内マラソンタスクフォース(前編)

(心肺停止から蘇生した御本人から、良識的な範囲で情報公開することに承諾を得ています)



先日、当院に出入りする業者さんとの会話。


「先生、稚内マラソン救護お疲れ様でした!私もエイドでボランティアしてました」

「あらそうですか!それはそれはお疲れさまでした!また今年も向かい風でねえ(^_^;)」

「ところで先生、今年コースの路上で、心肺停止があって、ダメだった

 って噂聞いたんですけど…」

!!ダメじゃないですよ!!確かに心肺停止で正直、肝はつぶしましたけど」



というわけで、無事に終わらなかった第2回稚内マラソンの話である。

昨年の第1回の時点から、私は救護責任者として深くかかわっており、

だからこそこのコラムでは、稚内マラソンの話題には決して触れる気になれなかった。

なぜならマラソンは、決して安心安全なスポーツではない!からである。




この松村の企画を考えた人間、全員クビにしろ!と救護の人間は思う



松村のような普段から運動習慣のない人間が、いきなりフルマラソンに挑むのは

文字通り自殺行為であり、普段から走り慣れている人間ですら、

路上で命を落とす危険はゼロではない。

可能性としては


論文があったので、救護班メンバー向けにスライドにして紹介した









初めての救護活動に不安なメンバーを安心させる目的で作ったのだが…



稚内マラソンでいうと定員1000人、実走せいぜい7~800人である。

単純計算して稚内マラソン50回に1回以下の確率であり

すなわち私が生きているうちに遭遇するかどうか、といった具合である。

しかしそれでも決してゼロではない

しかしそれを強調しすぎると、救護メンバー自体が恐れをなして

集まらないため、その辺のバランスがまた難しい。

さらに、救護の重要性を理解してくれない人間にゲンナリすることもあり、

そうしたプレッシャーもあって、このコラムで迂闊に話題にする気になれなかったのだ。



そして、何と心肺停止が早くも第2回で発生!!普通ならなおのこと

コラムでこの先ずっと触れてはいけないような空気になるのだが、

あえて今回話題にしたのは、今回の我々救護班の経験に加え、

そして蘇生後直ちにドクターヘリで名寄まで搬送された御本人のもとへ

翌週お見舞いに行き、聴き取りした実体験の内容が

全てのマラソンランナーの参考になる話だと確信したからである。

御本人からの承諾を頂いたので、じきに公開したいと思う。




さて、去る9月1日、第2回稚内マラソン(フル)が開催された。



宗谷岬でのスタート前。りんぞう君はランナーに大人気であった



昨年の第1回の救護活動を経験し、チームとしての手応えを感じた私は、

より良い救護を目指すべく、今年も20人からの救護メンバーに対し、

事前ミーティングの際に以下の動画を見せながら、ドヤ顔で(^_^;)コース説明した。

(中編に続く)




自宅~宗谷岬~北防ドームまで約90km自転車で走り作成した
周回や折り返しの少ないワンウェイルートというのは、救護面からは手ごわいルートとなる




第114回 全てのランナーに捧ぐ!稚内マラソンタスクフォース(中編)

さて、まず”稚内マラソン”の歴史に触れておきたい。



1983年(昭和58年)、稚内沖で起こった大韓航空機撃墜事件

大韓航空の旅客機が当時のソ連上空を領海侵犯した(今でも当時の機長の行動は謎)

ことでソ連戦闘機に撃墜され、乗員乗客269名全員死亡、という痛ましい事件であった。

当時、稚内の小学生であった私には、事件後に稚内の上空をヘリコプターか飛行機が、

爆音を響かせてとにかく毎日毎日、一か月くらいは飛んでいた…という記憶がある。

関係者及び遺族を乗せたヘリや飛行機は、ソ連に撃ち落されない領海ギリギリで

国境のまち稚内上空を飛んでいたのだろう…。



https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/inorinoto.html
事件の2年後、宗谷岬に慰霊碑”祈りの塔”が建てられている



この稚内沖で起きた痛ましい事件忘れないために、国際平和を祈念して

稚内平和マラソンが誕生した、というのが成り立ちであり、

これまでは2km、5km、8kmのコースのみで地元(の小学生)参加が大半であり、

私も大学生の時に一度、本州からの友人2名を誘って参加した位だったのだが、

昨今のマラソンブームを受け昨年、フルマラソンも開催されることになった。



そこで稚内市から宗谷医師会に「救護面でぜひご協力を」と打診があり

会長から”スポーツイベントなら彼に”ということで、私に話が回ってきたのである。

いつかこういう日が来ると思って全国各地のスポーツイベントに参加していた私だが、

すんなり引き受けたわけではなく、稚内市に対し、救護を引き受けるにあたって

3つの条件を提示した。





①原則外注はしません

フルマラソンというのは、稚内市に限らずどの都市においても一大イベントである。

稚内レベルの地方都市だと、民間救急やバイト医師など、救護メンバーを

外注する(せざるを得ない)ケースが大半であるなか、しかし私は外注はせず

”オール稚内”で救護班メンバーを構成し、入念にミーティングを重ね

救護面でも大会を成功へと導くことで、
稚内の医療者の結束を高める機会

繋げたい、という思いがあり、この条件を提示した。

すなわち私自身バイト感覚で臨むのではなく、ゼロから自分が理想とする

チーム稚内を作り上げるため、名実ともに総責任者として奔走する覚悟だった。

実際メンバー集めのために、市内各地の医療機関や消防署に自ら奔走し






上から目線ではなく、とにかく頼み込むことで(^_^;)

何とか目標通りの
看護師、消防士、理学療法士1名ずつ3名のチーム

6つ作ることができ、さらに複数のドクターも協力を名乗り出てくれ、大いに助けられた。

皆さん本当に!ご協力ありがとうございます(^o^)/




ゴール地点の救護本部で皆で記念写真



しかし前回のコラムでも言及したように、

マラソンで
致命的なのは循環器系の急性疾患である。

しかし現在、残念なことに
稚内に常勤の循環器内科医は不在のため

救護班として万全を期すならば、外注してでも招へいする必要がある。


稚内まではるばる
飛行機で来て棺桶で帰るランナーを出してはならない、

そんな話を第1回でランナーに向けスピーチしたら皆笑ってくれたが(^_^;)

第1回大会の時点から私は、万が一の事態に備えるべく名寄市立病院と交渉し、

はるばる
150km離れた名寄からドクターカーで循環器内科医、ICU看護師、

運転手2名が、有事の際に備え大会当日待機して頂けることとなった。


名寄ドクターカー!快くお引き受け下さり、本当に有難うございます(^o^)/





②ボランティアではありません

救護班のメンバーは全員、医療や救急に関わる専門職でチームを構成するわけであり、

プロにその職能を見込んでお願いする以上、休日にボランティアでタダ働きさせる

というのは、少なくとも私の常識では考えられない

プロ意識を持って大会救護に臨んでもらうため、責任の対価と大会の安全の担保

として全員に報酬を約束する、という条件は”絶対に譲れない”として市に提示した。

当初は要望通りスムーズに事が運んだのもつかの間、公務員であるメンバーの

参加について、市の一大イベントにも関わらず副業扱いと見なされ

交渉が難航してしまい、結局、ミーティング参加も含め時間外勤務扱いとする

という落としどころで落ち着いたのだが、こういう交渉事で本番前に疲弊するとは

思ってもいなかったため、改めて大会運営の難しさを思い知った。



ところが来年の東京オリンピックの役員の常識は、どうも私と違うようで…

https://www.zeiri4.com/c_1076/n_633/
東京オリンピックの救護で責任者は報酬を受取り、メンバーにはタダ働きさせると!
私が責任者なら恥ずかしくて報酬は受け取れない、というか大会ボイコットさせて頂く
救護メンバーが相応の報酬を受け取れるよう、全力で動くのが責任者の仕事ではないか





③できるかできないか、ではありません


これはむしろ、救護チームのメンバーに向けたメッセージである。

フルマラソンでの大会救護は当然、私も含め初のメンバーばかりであるため

第1回のミーティングで、メンバーの自己紹介の段階では、当然のように

本番に向けて、不安な声がメンバーから聞こえてきた。

「本当にできるんだろうか」

「自分は何ができるんだろうか」

「何かあったら誰が責任取るんだろうか」

といった不安の声の数々。

しかしそれも私にとっては全部、想定内でして(^_^;)

第1回のミーティングでメンバー全員に、声を大にして伝えた。



「”できるかできないか”のレベルの話ではありません。

皆ここにいる以上、”やるかやらないか”のレベルで自分が今

必要とされていることを、自覚して動いて欲しいのです」



さらに言えば、救護責任者である私は、”やるかやらないか”のレベルからさらに

どうやり抜くか

を要求される立場なのだ。




もちろん私自身、大会救護の責任者は初めての経験である。

本番前に道内各地の大会を視察・実走し、大いに参考にはしても、

決して真似をしたり、誰かに頼ったりするつもりもなかった。


稚内のこの大会規模、稚内のこのコース、稚内のこの医療事情を熟知し

やり抜く力のある人間は、
自分以外にあり得ないという使命感があったからである。



(後編に続きます)




第115回 全てのランナーに捧ぐ!稚内マラソンタスクフォース(後編)

さて、救護責任者としての私の仕事は、ザックリ分けて

①救護メンバー集め
②物品の選定、準備
③大会までの計画(ミーティング)
④当日の運営
⑤来年以降のより良い救護に向けて


である。なかでも、特に強調したいのは…

⑤来年以降のより良い救護に向けて

である。

大会当日夜、記憶が鮮明なうちにすぐさま反省会(兼慰労会)を開き、

各チームから報告を行ない、来年改善すべき点を洗い出すのだ。


反省会でのひとコマ。ただの飲み会ではありません!!




救護に関わった場合必ずこれに記載してもらい、皆で情報を共有する。未来のために!!



この反省とフィードバックの視点をリーダーが持ち合わせていないと、

チームとしての成長は難しい。

それに私がこういう仕事をするのは40代まで、50歳になったら引退し

いちランナーとして出場すると決めているので(^_^;)

それまでにより良いチームに仕上げて、後任に託したい思いがある。



さいごに、我々医療者がなかなか忘れがちなのが

⑥自らイベントを楽しみ、またランナーに楽しんでもらうこと


参加者は地元以外が大多数であり、この日のためにはるばる稚内まで来てもらうのだ。

いち市民として平和な時は笑顔で、拍手でランナーを応援しましょう!

https://hakodate-marathon.jp/column/
函館のマラソン課長のコラムを読むと、なぜ函館マラソンが人気No1なのか良くわかる
来年は函館マラソンに視察がてら出走してきます(^_^;)




さてここで、前編で紹介した論文の内容を紹介する。







この論文のデータでいうと、稚内マラソンの参加規模では

路上救護する確率はわずか1~2名となる。しかし!

第1回を経験した我々は事実、その10倍のランナーにコミットした。


強烈な向かい風はともかく、決して稚内マラソンが他よりも過酷であるはずがない。

これは出版バイアスといえる現象であり、「否定的な事象は論文にされにくい」ことから

論文の数字が現実はあてにならないということが身をもってわかった。

20年間で2名も死亡者が出ているマラソン大会を私は知っているが、

そういう大会ほど論文から遠いところにあるという現実を、

救護責任者は知る必要があるのだ…。



自らバイクでコースを走り回ることで、見えてくる事実もある




論文中の内訳。実際の現場を経験すると、あくまで参考に留めるのみ



論文でいうと心肺停止は20万人中0.5%と5万人に1人の割合だったが、

第1回を経験し、私は路上救護の重要性を肌で感じた

路上救護の主役は自転車である。 しかし宗谷の強烈な向かい風の中では

普通の人なら自転車で5km走るのもキツく、救護活動もままならない。

今後に向けて私は路上救護にさらに力を入れるべく、市にお願いし

電動自転車を5台購入してもらった。

ちなみに大会以外は観光協会で有効活用してもらう約束も(^_^;)


宗谷の白い道。きっと宗谷岬で有効活用されるでしょう!


実際電動自転車はメンバーに大好評で、第1回では救護所周囲のカバーだけだったのが、

各関門の制限時間に合わせて、自転車隊がゴールに向かってランナーと並走可能となり

コース全域をカバーできるようになった。




さて、第2回マラソン大会当日の話にうつる。

スタートから約3時間が経過したころ、メンバーからただならぬ無線連絡が入った。




このレッドとは


一番下のレッド・コールが発生しメンバーが急行し、駆け付け心肺蘇生中
何というかまあ・・・こういうのマメに作っといて良かった(^_^;)



私もバイクで駆け付けた時点で「これはヤバイ」といった以下の状況であり、
すぐに名寄ドクターカー&救急車連絡した:

電気ショック2,3発の時点で普通はもう相当厳しい状況である
蘇生はしたが、現場では意識は混濁したままであった

しかし幸運も、いくつか重なった:

①29km地点で発生→30km地点のチームがすぐ急行でき、発見が早かった
②電動自転車で並走していたチームもサポートできた→2チーム4名で蘇生できた
③うち1名がドクターだった→ボスミン(強心剤)投与が迅速だった

しかし何といっても、一番の幸運は

他のランナーが報告してくれたこと!!

名もなきランナーありがとうございます!!

あなたのおかげです!!_(._.)_



そしてすぐさま、名寄ドクターカーも到着しあっという間にルート確保、

その約1分後に救急車到着し搬送。

発見→蘇生→ドクターカー到着→救急車搬送まで11分。

どうだろうか…。

私含め救護メンバーは皆、意識混濁で搬送されるところまでしか見ていないため、

心肺停止の彼が心配で、正直気も気でなかったのだが…

それでもまだマラソン大会は終わっていない。

こういう修羅場の後は正直、すぐに気持ちを切り替えるのはなかなか大変なのだが、

残り3時間、他のランナーの安全を守るべく皆、気持ちを奮い立たせて仕事を続けた。


そしてしばらくして無線で報告があり、心肺停止の彼が搬送先の市立稚内病院で

会話可能まで意識を取り戻し、ドクターヘリで名寄市立病院まで搬送したとのこと。

皆それを聞いて安堵し、皆の心境も記念撮影ができるまで回復しました(^_^;)


大会終了後、救護班メンバー全員で記念撮影


しかし会話可能と言っても、心肺停止後に後遺症が残ることも少なくない。

夜の反省会では名寄の先生からの報告も詳しく聞けてとても参考になったのだが、

やはり救護責任者の私としては今後のためにも、救護を ”やり抜く”という意味でも、

可能な状況なら直接彼に会って、話を聞きたい気持ちでいっぱいあった。


なので…翌週末に





(完結編に続く…完結編は12月中に公開します…お楽しみに!)





第116回 全てのランナーに捧ぐ!稚内マラソンタスクフォース(完結編)

(前回からの続き)

いよいよ今回、名寄まで行って心肺停止の彼に面会してきたエピソードを紹介して、

コラムを締めくくろうと思う。

彼は20代男性、心肺停止のリスクは最も低いはずのランナーであったため、

なおのこと面会して、状況が許せば詳細を聞きたかったのだ。

なお当然、面会に際しては突撃訪問ではなく、事前に名寄ドクターを通して

面談の可否を確認して本人とドクターからの許可を得ている。




さていよいよ面会当日、病室の彼に会った。

ベッド上安静でトイレ時のみ看視付といった状況であったが、

幸いにも会話には支障ない状態まで回復していた。

大会当日は心肺停止で電気ショックを6発も喰らってヘリ搬送までされた彼が、

1週間後には私と普通に会話できていることに、非常に感慨深いものがあったのだが

以下に、会話の内容を列記する。ポイントは

・スポーツマンでそれまで持病や自覚症状は全くなかった
・フルマラソンは初挑戦だった
・胸痛やいつもと違う苦しさはなく、気づいたらベッドの上だった


と、事前にリスクを計るうえで全く参考にならないことが大いに参考になった。






話してみると、まあ本当に素直で礼儀正しいナイスガイであり

意外にも会話が盛り上がってしまい、3~40分のあいだいろいろとお話しした。

社会人となって間もない年齢の彼が突然心配停止となり、ドクターからの電話を受けた

本州に住むお母様は電話口で号泣(そりゃそうだ)、直ちに御両親とお兄様が駆け付け、

そして心配した友人達も本州から駆け付けてくれ、改めて周囲の人達に、そしてこうして

命のあることに感謝している、と…。


通常、救護の現場ではそこまでアフターケアしないのだが、われわれ救護メンバーが

今後稚内マラソンを走るランナーひとりひとりの背景に思いを巡らせることで

より良い救護につながるよう、面談したうえで今回の一件をまとめ、報告した次第である。



さて面会の最後、彼が面白いことを言っていた。




やはりスポーツマンとしては、初のフルマラソンで完走したかったようで(^_^;)



なお今回の心肺停止を機に彼がQT延長症候群(LQT1)という先天性の心疾患

を有していたことがその後の精査の結果判明し、後日ペースメーカー設置手術

を行い約一か月で退院となった。

この疾患ではマラソンや水泳などで突然死の危険性があるため、そういった

持久系スポーツは絶対禁忌なのだが、判明しないうちに亡くなってしまえば

当然わかるはずもなく、こういうケースで20代の心肺停止が起こり得る自体、

主催者側としては戦慄である…。



退院後わざわざ稚内まで挨拶に来てくれたので、本人の許可を得て撮影
会社の方が配慮してくれ、現場仕事からデスクワーク中心に配置換えしてくれたと




完走したかった彼の話を聞いてから、市の担当者に頼んで
余っていた完走メダルを頂いて生還メダルとして贈呈。控えめなピース(^O^)/



もちろん平和に終わってくれるのが何より一番なのだが、今回もし

こういった重症例に遭遇しないまま、大会が5回、10回と続いていくと…

我々救護チームもそのうち、平和に慣れきってしまい

「稚内マラソン程度ではどうせ何も起こらない」となめてかかることに繋がってしまう。

しかしそうなると果たして緊急時、今回のように動けるだろうか…?


今回のような重症例と縁のないままの救護チームと、早くも第2回で心肺停止に遭遇し、

今後さらに気を引き締めてかかる救護チームとでは、その後のチームの在り方が

全然違ってくるものである。

そういう意味では、われわれオール稚内の救護チームの今後の在り方

決定づけてくれた心配停止の彼に、心から感謝したい思いである。



さいごに…

通常、心肺停止で医療機関に運ばれるケースは、はっきりいって9割助からない。

後遺症もなく無事社会復帰というのは、わずか数パーセントである。

今回は本当に本当に運良く救命でき無事社会復帰も果たせたのだが、

稚内マラソンで救護を本気でやり抜こうと、努力したからこそ運が味方してくれた

ということを、コラムを読んでくれた方にわかって頂ければ幸いである。



それでもそのうち、運に見放されることもあるかも、というのもリアルな私の思いなのだが、

以下の地方紙の小さな新聞記事を、われわれ救護チームの小さな誇りにして、

来年以降も努力してより良い救護チームを作っていきたい。













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